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Pleiades. GALLERY & STORY

————14年のシングルマザー生活。お客様方に支えられながらの活動。

なぜ占い師に?

塵も積もれば・・・という感じで、長くなっちゃうんですけど。

幼少期から不思議な霊感を持っていたせいか、小児喘息があったり、しょっちゅう熱を出したりと虚弱体質でしたが、中学生で有力な吹奏楽部に所属したことをきっかけに一時的に体調が回復し、音楽を通して美しい視えない世界を感じ取るようになりました。

しかしその後、19歳でナルコレプシーを発症し(不思議なことにこの病は19歳でなる人が多いそうです)3年間、服薬をしながら軟禁状態に。体重も30kg台まで落ち、いよいよ終わるかと思われた時に「人生最後に素敵な恋愛がしたい」と思い、お相手に出逢い奇跡的に即、懐妊。妊娠反応が出る頃には、なんと、重度のナルコレプシーがすっかり消えたんです。

ナルコレプシーは脳神経の病で、脳波の異常なのに、どうして妊娠で治ったのか・・・そんな事例があるのかをお医者様に聞いても「わからない」の一言。ただ、薬をやめたタイミングが子供に影響の出ない時期だったので、このまま産んでいいでしょうと話されました。

このまま死ぬだろうと思っていたのに、生き甲斐ができて身体も治り、元気に生きる以外の選択肢がなくなりました。こんな突然の【奇跡ってあるんだ】と思えたことが、目に見えない世界に意識を向けるきっかけにもなったと思います。

それから1年後、息子が先天性の免疫障害で入退院を繰り返すようになる直前、生まれて間も無くの自分の誕生日に、夢の中で眩い光が迫ってきて、自分の身体に入る夢を見ました。

ここからいよいよ、スピリチュアルな世界へ足を踏み入れることになり、ヒーリングや占いを知れば知るほど「自分の力を誰かの役に立てたい」と思うようになりました。

そして、最終的な決定打になったのは、当時の親友が彼氏に振られてしまい、占ってほしいと言ってきた時のことでした。

タロットを使って鑑定したところ「復縁できるってハッキリ出てるから大丈夫だよ」伝えると、親友はわんわん大きな声を出して嬉し泣きました。この時、何とも言えない充足感と静かな衝撃を受け「こんなに喜んでもらえるものなんだ」と慄き、元々誰かの役に立ちたいと漠然と思っていたので、悩むことなく占い師になりました。(もちろん、その親友は直ぐに復縁しておりましたよ)

意外と現実的なタイプで、パソコンのお勉強なんかをしていたものですから、占い師になるという選択をするまでに、それなりに時間がかかっていたと思います。


※ ちなみに息子は2022年で16歳になり非常に健康です。

占い師になってから

占い師って、自分でそう名乗れば占い師なので、プロとアマの差は「お金をもらっているか」どうかだと思うんですけど…

占い師として稼ぐところまで踏み込んだのは「息子の病状を考えると、働きに出るばかりでは大変だし心配。なら、在宅で仕事をしなくては」という意識からでした。

当時、ラッキーなことに、電話占い業界はものすごく盛り上がっていて、稼げるということを知らない人が多い、新しい分野だったんです。元々なんとなくやっていた独学のタロットをおさらいし、受講料なんて出せないから完全独学で電話占いの面接に挑みました。

そうしてプロデビューして直ぐ【占いの窓】や【エキサイト電話占い】をはじめとする多数の電話占い会社へ所属し、鑑定の実力を磨くところからスタート。

息子が元気になり始めた頃から対面鑑定を始めると、メディア関係者様から声がかかり、2015年にテレビ朝日「お願い!ランキング」で"今月行ったらイイ神社"を監修・出演。

それをきっかけに、麻布十番にて「麻布さくら」として独立開業し、2018年には白金高輪へ「Pleiades.」としてリニューアル移転。

しかし、2020年には、新型コロナウイルスの影響で地元石川県へ一時帰省することになり(息子の免疫障害を心配しました)東京出張を重ねながら、2021年には石川県金沢市で新店舗をOPENし2店舗を経営するまで至るも、東京での新たなメディア活動のスタートと新規事業計画が出来たこと、そして占い業界も段々と新しいスタイルが生まれ始めていることなどから、2022年に双方を一時閉店することに致しました。

現在は、社長業の皆さま専属の占い師としての活動と、完全紹介性の鑑定を行ないつつ、メディア関係者の皆様にも支えられながら「幸せを呼ぶ神社めぐり」や「神さんぽ」などの、神社広報活動に注力しています。