STORY

Pleiades. STORY

————14年のシングルマザー生活。お客様方に支えられながらの活動。

なぜ占い師に?

話せば長くなっちゃうんですけど。

昔、幼少期から霊感を持っていたせいか虚弱体質で、19歳でナルコレプシーを発症し(不思議なことにこの病は19歳でなる人が多い)3年間、服薬をしながら軟禁状態になりました。体重も30kg台まで落ち、いよいよ人生が終わるかと思われた時に「最後に素敵な恋愛がしたい」とお相手を探し、病気を理解してくれる優しい方と出逢って、奇跡的な懐妊をすることで病が消えたんです。どうして妊娠で治ったのかお医者様もわかりませんでしたが、薬をやめたタイミングが子供に影響の出ない時期だったので、問題なく出産できました。23歳の事でした。

こんな突然の【奇跡ってあるんだ】と思えたことが、目に見えない世界に意識を向けるきっかけになったと思います。

それから半年後、離婚して間もなく息子に先天性の免疫障害があるとわかり、実家の家族と支え合う中、その年の自分の誕生日に不思議な体験をしました。

夢の中で眩い光が迫ってきて、自分の身体に入ったのです。えも言われぬ気持ちよさと感動で、驚いて飛び起きました。

翌日、何が起こったかわからず知りたくて、スピリチュアルなお店を探して駆け込みました。光の理由はわかりませんでしたが、ヒーリングや占いを学んで「自分の力を誰かの役に立てたい」と思うようになりました。

そして、占い師になる決定打になる出来事が起きました。当時の親友が彼氏に振られてしまい、占ってほしいと言ってきた時のことでした。

タロットを使って鑑定したところ「復縁できるってハッキリ出てるから大丈夫だよ」伝えると、親友はわんわん大きな声を出して嬉し泣きました。この時、何とも言えない充足感と静かな衝撃を受け「こんなに喜んでもらえるものなんだ」と、占い師になる決意をしたのです。(もちろん、その親友は直ぐに復縁しておりました)

こういうのも何ですが意外と現実的なタイプでして、中学生からパソコンのお勉強なんかをしていたものですから、奇跡体験をしていても占い師になるという選択をするまでにそれなりの時間がかかっていたと思います。


※ ちなみに息子は今とても健康です。ありがとうございます。

占い師になってから

占い師って、自分でそう名乗れば占い師なので、プロとアマの差は「お金をもらっているか」どうかだと思うんですけど…

占い師として稼ぐところまで踏み込んだのは「息子の病状を考えると、働きに出るばかりでは大変だし心配。なら、在宅で仕事をしなくては」という意識からでした。

当時、ラッキーなことに、電話占い業界はものすごく盛り上がっていて、稼げるということを知らない人が多い、新しい分野だったんです。元々なんとなくやっていた独学のタロットをおさらいし、受講料なんて出せないから完全独学で電話占いの面接に挑みました。

そうしてプロデビューして直ぐ【占いの窓】や【エキサイト電話占い】をはじめとする多数の電話占い会社へ所属し、鑑定の実力を磨くところからスタート。

息子が元気になり始めた頃から対面鑑定を始めると、メディア関係者様から声がかかり、2015年にテレビ朝日「お願い!ランキング」で"今月行ったらイイ神社"を監修・出演。

それをきっかけに、麻布十番で独立開業し、2018年に白金高輪「Pleiades.」としてリニューアル移転。

しかし、2020年には、新型コロナウイルスの影響で地元石川県へ一時帰省することになり(息子の免疫を心配しました)東京出張を重ねながら、2021年には石川県金沢市で新店舗をOPENし2店舗を持ちました。

しかしながら東京での新たなメディア活動のスタートと新規事業計画が出来たこと、そして占い業界も段々と新しいスタイルが生まれ始めていることなどから、2022年に双方を一時閉店。

現在は、港区三田に小さなサロンを構え、社長業の皆さま専属の占い師としての活動と、完全紹介性の鑑定を行ないつつ、メディア関係者の皆様にも支えられながら「幸せを呼ぶ神社めぐり」や「神さんぽ」などの、神社広報活動に注力しています。